4足のワラジをフリップ・フロップ!NY・ドリーマー便り

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9・11を振り返って、命の尊さを思う

あれから7年になる。
私はその頃Manhattanのミッドタウンにある法律事務所で働いていた。

朝9時前に出社すると、フロントに居る筈の受付嬢がいない。大所帯の事務所なのに誰一人見当たらない。凄くいやな予感がよぎった。
同僚のEがカフェテリアに行くよう私に言う。
誰もがカフェテリアにあるテレビに釘付けだった。

2機目の飛行機がWTCへ墜落した映像が目に入った。
信じられなかった。同時に私の知り合いで働いている人たちが居なかったか思い出してみた。「確かクライアントがWTCで働いていたはず」、と思い出して凄く悲しくなった。
私の同僚達は泣き崩れ、倒れそうになっている者もいた。友人がWTCで働いているのだ。彼らの知人も無事であることを祈った。

間も無くオフィスから帰宅命令が出た。緊急時なのにマンハッタン全域の地下鉄は全てストップしていて、徒歩で自宅まで帰らなければいけなかった。

歩いて数時間。クイーンズボロ橋を渡った。そこからワールドトレードセンター付近がすっぽり黒い煙に包まれているのがはっきりと見えた。
青々とした、秋の高い空。それと好対照な、不気味な黒煙。
とても悲しかった。それに加え、WTCに飛行機が追突した理由が分からないので不安でたまらなかった。

「どうしてこうなっちゃったんだろう?」
涙が大量に溢れて視界がとざされ、歩くどころではなかった。
でも一刻も早くマンハッタンを離れなければ危ない。歯を食いしばって歩いた。
馴染んだ靴ではあったが、7センチのハイヒールで数時間歩くと踵とつま先が一歩進むたびに悲鳴をあげる。最悪だった。
6時間後自宅へ辿り着いた。翌日出社すると大体の人たちが休みをとっていた。マンハッタンに居る事がどれだけ危険か計り知れないからだ。

この7年の間、大統領がテロの起こる危険度を色で発表したり、地下鉄の乗車客の荷物チェックを警察が行ったり、大きな機関銃をかかえたSWATチームが主要駅ではりこんだり。また大体の大きな建物に入館の際は政府発行のIDが必要となった。それどころがデジタル写真を撮られることもしばしば。何かにつけて警察のパトロールの為、地下鉄が10分、20分と平気で停車する。
あの頃のニューヨーカーの日々の緊張は大変なものだった。

惨事の直後でも、私の気持ちは冷静でCalmだった。実際、この様な非常事態は阪神大震災で経験済みだった。

阪神大震災が起きた当時、私は実家の西宮に住んでいた。私の自宅は一部損壊し水道・ガス・電気は1ヶ月以上止まった。
バイト仲間の先輩Sさんがビルの瓦礫に埋もれて亡くなってしまった。違う大学だったがラクロスが共通の趣味で親しくさせてもらっていた。いつでも笑顔が絶えずユーモア溢れた素敵な女性だった。「卒業旅行はパリに行く」、と楽しみにされていた矢先だった。

最後の別れに、とバイト仲間全員とお葬式へ行った。
先輩のお父さんだけが生き残り、先輩と兄弟二人、そしてお母さんは震災でなくなってしまった。
棺が4つ、其の横にお父さんが立ちすくんでいた。
お父さんの顔をまともに見れなかった。凄く、凄く悲しいシルエットだけ。

ありふれた言葉だが、人の命は長いようで短い。
そして、終焉は突然自分の予想外のところでやってくる。
何故ならば、人は自分の死を予期して生きられないからだ。

自宅の飾り用の大きな時計は、いつもあの地震が起きた「 5時46分」を示している。
S先輩の分まで精一杯生きよう、という気持ちを忘れないように。

今はただ、宗教や信条の違いからくる諍いが無くなるよう祈るばかりです。
そして惨事で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。合掌
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by nypoker | 2008-09-11 07:40